311被災地視察研修、通算6回目実施/東日本大震災の学校被災現場の知見を共有し、備えと防災教育の実践に生かす

宮城教育大学は2023(令和5)年3月26-29日、全国の津波災害等警戒地域の教職員を対象に、東日本大震災の知見を学ぶ「311被災地視察研修」を実施しました。

2019年4月に発足した「防災教育研修機構」(通称・311いのちを守る教育研修機構)の取り組みで、通算6回目になります。全国から多数の応募があり、地域バランス等を勘案して小中高校の校長、教頭、教諭、市教委指導主事ら28人の参加を決めました。移動中・宿泊先のコロナ感染対策を徹底し、予定通り3泊4日の日程で被災地を巡りました。

視察先、研修内容はこれまでとほぼ同じです。初日のみ雨模様でしたが、その後はおおむね晴天に恵まれ、宮城県気仙沼市、岩手県釜石市鵜住居地区、宮城県南三陸町戸倉地区、石巻市大川小震災遺構、門脇小震災遺構など被災した学校跡などを巡り、当時の校長や遺族らから話を聴きました。ワークショップなどで学校現場の災害対応の教訓、「ともに生き抜く力」を育む教育の要点を共有しました。終了後のアンケートでは、28人全員が「期待以上だった」と答え、成果を所属先や地域に伝える役割を誓いました。

宮城教育大学は、東日本大震災の伝承と啓発による防災教育の発信強化を責務と捉え、震災10年を経過した後の伝承を重視して被災地視察研修に取り組んでいます。今後も年2回定期開催の予定で、2023年度は夏が8月9日(水)-12日(土)、春が2月22日(木)-25日(日)の予定(これまで春開催は3月末でしたが、1か月前通し)です。開催が近づきましたらご案内します。多くの教職員の参加、派遣を期待しています。

【概要報告】

  • 日程

・2023(令和5年)3月26日(日)-29日(水) 3泊4日

・詳細日程は、別紙1の通り

・参加費等の案内文書は、別紙2の通り

  • 参加者概要

・沖縄県1人、熊本県1人、山口県1人、広島県1人、高知県1人、愛媛県3人、兵庫県1人、和歌山県1人、愛知県5人、静岡県3人、新潟県2人、神奈川県1人、東京都5人、千葉県1人、北海道1人の計28人

・小中高校、特別支援学校の校長、副校長、教諭、養護教諭、教委指導主事ら

  • 主な視察地と寄せられた感想(視察順、抜粋加筆整理)

 

【気仙沼市】波路上・杉ノ下地区の慰霊碑、気仙沼向洋高校震災遺構・伝承館

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・指定先に逃げ込んだ住民ら93人が犠牲になった現場を遺族の案内で視察

・校舎4階まで津波に襲われた旧高校校舎の遺構を語り部の案内で視察

「津波により杉ノ下地区では指定避難場所であったにもかかわらず63人もの犠牲が出た。その一方ですぐ近くにある向洋高校では建物自体は甚大な被害を被ったものの、生徒・職員200名余りは危ういところで難を逃れることができた。生死を分けたものは何であったか。最初の訪問地ということだけでなく、強烈な印象を受けました」

「杉ノ下の語り部小野寺敬子さんは、冷たい雨の中、命を削るように語り部の使命感を持って、お話しくださっていることを肌で感じた。視察の最初ということもあって、生半可な同情心ではいけないと自分を戒めたことを覚えている」

「向洋高校遺構では、震災を経験した中学生や高校生が語り部を務め、未来の子どもたちのために自分にできることを探し、伝承活動を実践していることが心に残りました」

「被災していない自分が被災地について語っていいのか、ずっと迷いがあった。しかし、震災の記憶もほとんどないくらいの若い世代の人たちが一生懸命語り継いでいこうとする姿に迷いが吹っ切れた。経験がなかったとしても、大事なことは語り継いでいくべきだと決意することができた」

 

【釜石市鵜住居地区】いのちをつなぐ未来館、旧釜石東中・鵜住居小からの避難経路

・避難した住民160人近くが犠牲になった旧防災センター跡地の「未来館」と慰霊碑視察

・600人の児童生徒が無事に避難した避難経路を当時の2年生の語り部の案内で視察

・語り部と1時間にわたり意見交換

「実際の避難経路を歩いてみることで、当時の子どもたちの気持ちをより身近に感じることができました。歩いた距離だけでなく、高低差などから、あの時避難した子どもたちの心情に寄り添うことができました。津波てんでんこが脈々と受け継がれてきたことを川崎さんの話から感じるとともに、学校の避難が地域の避難になることを私たちは知っておかなければならないと強く感じることができた」

「当時中学生だった川崎さんだからこその視点で語ってくださったことがよかった。実際に避難路を歩いてみることで、感じられることも多かった」

「釜石の奇跡を実際に中学生として体験した方からお話が聴けた。また、避難所とされた防災センターに逃げて命を落とされた方々の思いも考えた。どんな気持ちで迫り来る浸水と戦ったのか、考えるだけで胸が詰まる」

 

【南三陸町】旧戸倉小学校・戸倉中学校

・児童90人が高台に避難して無事だった小学校の判断と経路を当時の校長の案内で視察

・1時間にわたり、意見交換

「恥ずかしながら、戸倉地区についてはほとんど知らなかった。地震発生から避難、救助までの話を、責任者であった麻生川先生から語られることで、緊張感をもって聞くことができた」

「戸倉小学校の児童が避難した神社は、麻生川先生が想定していた場所ではなかった。しかし、地元の先生たちの意見を取り入れ、柔軟に避難先を変えていった結果、全員助かった。命を守るのは「人」という意味で大川小学校と好対照学校の管理者として、とても難しい決断を下したと思います」

「校長として職員との話し合いの過程や当時の判断への心境など、経験者でなければ知り得ない心の葛藤をお話くださった。自校に帰ってから管理職の役割、教職員の役割を再考する機会となった」

「複数のマニュアルが結果として、みんなの命を守ることとなった戸倉小学校。誰かの指示に従うだけではいけない。キーパーソンを中心に誰もが話しやすい雰囲気を日ごろから作り、互いの考えを出し合っておくことで、いざという発災時にベターな選択ができると感じた。麻生川校長先生の温かい人柄と津波で襲われた街の風景がとても対比的に感じ、印象に残りました」

 

【石巻市】大川小震災遺構

・児童教員84人が犠牲になった学校跡地を、娘が犠牲になった元中学教師の案内で視察

・1時間半にわたり、意見交換

「多くの犠牲者が出た大川小学校は、震災当時からずっと訪れたい場所でした。長い時間がかかりましたが、今回ようやく訪問することができ、そこにいた子どもたちの命を感じることができました。現地で見たものは、これまで資料でしか知りえなかったこととはちょっと違って感じました。なぜ裏山への避難がなされなかったのか。子どもたちを守れなかったのか、ここに私たちは学ぶべきことがたくさんあると感じた場所でした。大川小は日本の防災のあり方を変える場として、残った私たちが語り継いでいく必要があると思いました」

「語り部の佐藤敏郎さんの溢れ出る思いと遺構が災害時の教師の責任を深く感じました。自分だったら、自分の学校では、といった自分ごとに考えることが明確になった視察でした」

「ずっと疑問に思っていた50分の空白の理由も少しわかった気がします。それは今後自分が教職にある限り、また管理職でいる限り心に留めておかなければならないことだと思います」

 

【石巻市】門脇小震災遺構

・当時の校長の案内で避難の様子を視察

・1時間にわたって意見交換

「話をしっかり聞くなど、普段の授業の中にも防災に繋がる大切なポイントがあることがとてもよく分かった。普段から行っている教育活動の中に、もっと防災に繋げることができるものがあるという気持ちにさせられた」

「鈴木洋子先生のお話から、学校防災や防災教育を計画する上で人の命を守ることをベースにすすめることで、やるべきことが明確になることを学びました」

「鈴木先生の語りと実践から、非常時を日常に落とし込むことができるのは学校教育だという視点が具体を生む、と思った」

 

【宮城教育大学】震災時の避難所運営

・石巻西高校の元校長が避難所対応経験を元に避難所運営の要点を講話

「私たち教員ができる防災教育を具体的に教えていただけてありがたかった。また避難所設営を学校が担うことまで頭になかったので、その場合の組織の仕方は勉強になった」

「齋藤先生から授業を受けているような、そんな感覚でした。災後を生き抜く力という言葉に納得すると共に、新しい学びを得ることができました」

「本音ベースで語っていただき、現場として何が必要なのか、という視点を具体的に持つことができたようにおもいます。当日のことなどはあまり知らなかったので、そのあたりも勉強になりました」

 

【仙台市】荒浜小震災遺構

・地域住民も含めて320人が屋上避難し命を守った学校を当時の校長の案内で視察

「当時の校長として、被災された時の状況を刻一刻と感じながら話を聞くことができました。あんな高さまで津波がやってくるとは、現地を訪れなければわかないことだったと思います。管理職として判断された経験は、学校管理職の先生方にもっと聞いてほしいと思いました」

「海に近い小学校の当時の役割が、遺構から強烈に迫ったきた印象を持った。周囲を津波に囲まれた恐怖や地域が飲み込まれていく様を目撃した子どもたちや地域の住民の心境を思うと311はまだ続いていることを実感した」

 

総括ワークショップの様子と事後寄せられたリポート(一部抜粋・構成)

■小学校教諭

実際に見て、避難した道を歩いて、当事者に会って話を聞くことで、研修後は今まで感じたことのない気持ちになった。語り部の皆さんや震災を経験した若者達の、経験を「つらい、思い出したくない」ものとせず、「悲しい思い出を、価値のある情報とする」ために前を向き、行動している姿に、涙が出てきてしまった。私も、ただ感動しているだけではなく、何かできることはないか、研修中はずっと考えていた。その中で、大川小学校で話をしてくださった佐藤敏郎さんの「登場人物に血を通わせる、真剣に子どもの命を考える」このことこそ、私の今までの考えになかったことで、今後の教員生活に必要な物だとの考えに至った。防災は大切だ、と思いながらも何をすべきか分からず、結局何もせずに過ぎてしまっていた。しかし、この研修を通して「目の前のこの児童の命が失われるかもしれない」「絶対に守りたい命がある」と真剣に考えたことがなかったことに気付かされた。今ここにいる大事な児童が被害に遭う、いつも協力してくださっている児童の家族が悲しむことになる、そんなことは絶対に起こしてはいけない。そのために想定できる全てのことを学校のみんなで想定し、行動しなければならないと感じた

■小学校教諭

今回の研修は想像以上の学びを得た。今までの意識が180度変わる研修となった。資料だけの知識ではなく、現地の空気感や被災者の想いに触れることで、考えさせられることばかりであった。研修では、「自分の地域だったら…」と考えながら臨んだ。海の近くの学校、川沿いの学校、生き延びた所やそうでなかった所。様々なケースを視察できたことで、防災学習に大切なことが見えてきた。それは、「生き延びる」ということ。何が何でもまずは、生き延びることで次につながる。そのためには、事前の備えが大切である。「風通しの良い職場・地域とのつながりづくり」「地域の地理や歴史の把握」「避難場所の確認」「様々なケースの避難訓練」「本気で見直した選択肢のあるマニュアル」多くの備えが必要であることを学んだ。特に自分の生活の中では、「つながり」「避難方法の確認」をさらに見直し、強化する必要があることに気付いた。研修後、すぐに家族にはその必要性を話した。今後、職場でも広めていくつもりである

■高校教諭

「災害のサイレンは、ゴング」。大川小学校の語り部、佐藤先生が言った言葉に、心を打たれました。ボクサーは、ゴングが鳴るまでに、どれだけ準備をしているだろう。何年もかけて体を作り、精神状態も整えているはずです。つまり、準備をしているからこそ、戦えるということを教えてもらいました。今回、学校から避難指示をして生徒・児童が助かった学校の校長先生たちが、多くの教訓を教えてくれました。そして、誰1人、自分たちのやったことに満足していませんでした。もっとできることがあったのではないだろうか。皆さん、そう言われてました。しかし、どの校長先生も、想定をして備えていたというのが共通していたことでした。2日前の3月9日にあった地震と津波注意報を受け止め、それに対して、適切な方策をとっていました。四国は、近い将来、南海トラフ地震に襲われると言われています。私が育った高知県は、小学生の頃から、地震と津波について勉強してきました。しかし、愛媛県は瀬戸内海だから大丈夫と思っている人が多いような気がします。私も含めて、危機感が足りないような気がします。例えば、放送機器が壊れた前提で避難訓練をやってみる、部活動中(放課後)に地震が襲った想定で避難の方法を考えてみる、勤務校は市内の高台にあるので近所の人が学校に避難してくる想定をしてみる、など、考えられるシナリオを少しずつ試してみたいと思いました。もちろん、本番はその通りにはいかないと思います。しかし、想定を重ねておくこと、そして、想定しながら、周りの教員と話しておくことの大切さを今回、学ぶことができました

■教育委員会指導主事

「知識を持っているだけではダメ。正しく判断して行動できるようになることが重要だ」という言葉のとおり、残された我々にできることは、人の思いを受け止め、行動に変えていくことだ。今、行動につながっていないのは、そこに血が通っていないからだろう。目の前のことに、子どもたちの姿が反映されていないから、実効的な訓練、本気の取組になっていないのだと思う。行政の立場からしても各方面から来る文書量の多さに困惑しているが、その多さが子どもたちを見えなくしていることも否定できない。それをすぐに変えることはできないが、その中で何ができるかを見つけていかなければならないと帰路の空でずっと考えていた。震災については周りの人よりも関心を持って学んできたつもりだったが、やはり現地で見ること、歩いて感じること、五感で話を聞くことは違った。間違いなく受け取った思いを自分の言葉に変えながら、具体的に何ができるかを行政の立場から、言葉を育てながら伝えていきたい

■中学校養護教諭

311被災地視察研修に参加したことは、私自身にとって「人を思う」貴重な経験となった。被災経験者、若い伝承者、管理職、保護者であり教職員でもある者、様々な立場から話を伺うたびに、私は12年前に戻り、被災地域の人となり、その地の学校関係者となった。12年前の悲しみや苦しみ、迷い、痛みなどを少しは共感できたと思う。養護教諭は、授業は行わない。保健室にいるので、子どもに関わる時間も少ない。しかし、傷ついたり弱ったりした子どもは保健室に多くやってくる。自傷行為、摂食障害…、どれも命に関わる行動だ。それらの生徒には、今回の研修で考えた、「命」の尊さを話す機会としたい。突然奪われた「命」小さな「命」、弔われることのない「命」…。災害が起こった際に養護教諭ができる事は大きいと、大川小学校で佐藤先生から教えていただいた。防災教育に直接関わることはできないが、養護教諭としての資質を高め、保健室から、今回学んだ事を生徒に、仲間の養護教諭に、職場の先生方に、そして最も大切な家族に伝え続けていこうと強く思っている

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