311被災地視察研修、通算5回目実施/東日本大震災の学校被災現場の知見を共有し、備えと防災教育の実践に生かす

宮城教育大学は2022(令和4)年8月10-13日、全国の津波災害等警戒地域の教職員を対象に、東日本大震災の知見を学ぶ「311被災地視察研修」を実施しました。

2019年4月に発足した「防災教育研修機構」(通称・311いのちを守る教育研修機構)の取り組みで、通算5回目になります。全国から150件を超す応募があり、地域バランス等を勘案して小中高校の校長、教頭、教諭、市教委指導主事ら29人の参加を決めました。コロナ禍対策として2週間前からの健康チェック、移動中・宿泊先の感染対策を徹底し、予定通り3泊4日の日程で被災地を巡りました。

視察先、研修内容はこれまでとほぼ同じです。おおむね晴天に恵まれ、岩手県釜石市鵜住居地区、宮城県南三陸町戸倉地区、石巻市大川小震災遺構など被災した学校跡などを巡り、当時の校長や遺族らから話を聴きました。ワークショップなどで学校現場の災害対応の教訓、「ともに生き抜く力」を育む教育の要点を共有しました。終了後のアンケートでは、29人中28人が「期待以上だった」、1人が「期待通りだった」と答え、成果を所属先や地域に伝える役割を誓いました。

宮城教育大学は、東日本大震災の伝承と啓発による防災教育の発信強化を責務と捉えており、震災10年を経過した後の伝承を重視して被災地視察研修に取り組んでいます。コロナ禍の影響は続きますが、311被災地視察研修は今後も年2回、8月と3月に定期開催する方針です。来年2023年3月の研修は3月26日(日)-29日(水)の予定です。開催が近づきましたらご案内します。多くの教職員の参加、派遣を期待しています。

【概要報告】

  • 日程

・2022(令和4年)8月10日(水)-13日(土) 3泊4日

・詳細日程は、別紙1 2022年8月日程表の通り

・参加費等の案内文書は、別紙2 2022.8月研修参加者・詳細案内の通り

  • 参加者概要

・沖縄県2人、高知県6人、兵庫県2人、和歌山県1人、三重県3人、愛知県6人、静岡県2人、長野県1人、神奈川県1人、東京都3人、埼玉県1人、青森県1人の計29人

・小中高校の校長、副校長、教諭、事務職員、市教委の指導主事ら

  • 主な視察地と寄せられた感想(視察順)

【気仙沼市】波路上・杉ノ下地区の慰霊碑、気仙沼向洋高校震災遺構・伝承館

・指定避難所に逃げ込んだ住民ら93人が犠牲になった現場を遺族の案内で視察

・校舎4階まで津波に襲われた旧高校校舎の遺構を語り部の案内で視察

「何と言っても、初めて目の当たりにした震災の現実だったことです。そして、意識が高かったのに、指定避難所だったのに被災してしまったこと、津波が三方から襲ってくる予測不可能な自然の脅威、当日の人々の様子や心情。現在の状況などを1箇所目でたくさん知ることができました。また、向洋高校遺構は当時の様子がそのまま残されていて、津波の凄まじさを実感できました。高校生の語り部も東日本大地震を伝えていきたいという若者の気持ちが強く伝わってきました。最後のビデオも印象的でした」

「気仙沼向洋高校は、津波の被害を実際に見て一番感じられた施設でした。実際のがれきが校舎に残った状態で展示されており、津波の被害があまりに大きかったことがすぐにわかるものであった。保存費がかかるが、保存し続けることに意味があると感じた。気仙沼の杉の下では、市指定避難場所に指定されていたにもかかわらず、多くの方が亡くなった。避難場所に指定した佐藤健一さんの気持ちを考えると心が痛くなった。「津波の想定に上限を設けてしまった」この言葉が後世に伝え続けられることがなくなった方々のためにもなると感じた」

「気仙沼市の中高校生が震災の語り部として後世に、他地域の人々に震災の教訓や当時体験したことを強い使命感を持ち伝えている姿に感動した。当時小学生、幼稚園児だった高校生の彼女らが、小さいながらに感じたこと、学習したことを伝えてくれるからこそ教員である私たちそして他の人々の心に感じるものが大きかった」

【釜石市鵜住居地区】いのちをつなぐ未来館、旧釜石東中・鵜住居小からの避難経路

・避難した住民160人近くが犠牲になった旧防災センター跡地の「未来館」と慰霊碑視察

・600人の児童生徒が無事に避難した避難経路を当時の2年生の語り部の案内で視察

・語り部と1時間半にわたり意見交換

「震災当時に中学生だった川崎さんが地元に帰ってきて語り部をされている思いを少しでも共有できたと思います。平時に楽しく防災のことを学ぶことの大切さが分かりました。震災から11年経ち、道路や建物は復旧してきたが、津波被災前の地域はなくなってしまったことは悲しいことだが、当時の小中学生が大人になり震災体験を語り継ぐことで、絶対に風化させないという強い思いが伝わりました」

「川崎さんの「私たちが率先避難できた、命を守ることができたのは、防災教育のおかげである」との言葉が印象に残った。防災教育は非常に楽しかったとのことで、当時の先生方の工夫した授業づくりが、子どもたちの力の育成につながった。自分自身も教師として、子どもたちに自らの命を守りきる力を身に付けさせる義務がある。その役割を果たせているだろうかと改めて考えさせられた」

【南三陸町】旧戸倉小学校・戸倉中学校

・児童90人が高台に避難して無事だった小学校の判断と経路を当時の校長の案内で視察

・1時間にわたり、意見交換

「学校の管理者として、とても難しい決断を下したと思います。学校での先生方との話し合いの様子、避難時の様子、その後の子ども達の様子を聞きながら、詳細に知ることができました。校長としての葛藤、自分自身の後悔など、話したくない事を包み隠さずお話し下さり、その様子から対話を大切にされる先生だからこそ、最小限の被害に留まったのではないかと私は思います。リーダーとしてのあるべき姿をみたと思います」

「麻生川先生の話は、職員間で協議(雑談も含め)をすることの大切さを感じた。結論は出なくても話をすることで選択肢が増えると思った。また、高台に避難した後、車の心配をしたことや教頭先生への指示など本音の部分もお伺いし、有事の際の心理や判断についても備えておかなければならないと感じた」

「管理職の立場として児童や教職員を守るために決断をすることがいかに重いことかを感じた。ただ、震災までの2年間の教員とのやり取りの話から、もともと防災意識が高く、かつ話し合う場面が作られていたことが戸倉小の児童を救ったのだと思った。戸倉小のように管理職と教員が十分に議論できる雰囲気が学校を良くし、非常時には生徒を命を救うものだと感じた」

【石巻市】大川小震災遺構

 

 

 

 

 

・児童教員84人が犠牲になった学校跡地を、娘が犠牲になった元中学教師の案内で視察

・1時間半にわたり、意見交換

「教員として、震災と向き合うことはとても葛藤があったと思います。そんな中、様々な事を教えて頂き、本当にありがたいと感じました。冷静な語りの中に、子ども達への愛情が溢れていて、今教えている子ども達が頭をよぎり、自分だったらどうしただろうと苦しくなりました。ですが、佐藤さんのこの場所を悲しいだけの場所にしたくないという、強い思いに触れ、命やそれを守る学校の在り方について、とても考えさせられました。1人でも多くの先生に、大川小の遺族の思いに触れてほしいと思いました」

「娘さんを亡くした悲しみと向き合うことは簡単ではないと思います。語り部をして「未来に伝えたい」という前向きな気持ちはだれでも持てるものではなく、佐藤先生の、大川小を「悲劇の場所」だけで終わらせない という強い意志を感じました」

「大川小学校のことを調べた上で研修に参加させていただいたが、実際に佐藤さんの話を聞くのとでは大きく違った。佐藤さんの言葉1つ1つに思いが乗せられており、 11年前の出来事ではなく最近の話のように感じた。佐藤さんの話の中で、「迷った時は、娘だったらどうするだろうか」という言葉が印象に残り、娘さんの思いを胸に秘めて活動されているのが伝わった」

【石巻市】門脇小震災遺構

・当時の校長の案内で避難の様子を視察

・1時間にわたって意見交換

「鈴木洋子先生の地域の地理や歴史、文化などの特性をよく理解し、地域の人々とよく話し合い防災対策をみんなで考えていくという姿勢に感銘を受けた。私は防災主任ではないが、社会科教師として勇気づけられた。地域を見つめ、研究していきたいと思った」

「校長先生のお話が最も印象に残りました。自分で事前に正しく知る努力をすることと、責任ある柔軟な判断をしなければならないことを学びました」

【宮城教育大学】震災時の避難所運営

・石巻西高校の元校長が避難所対応経験を元に避難所ワークショップの実際を講話

「想定されている以上のことを考えて準備し、行動できるようにしておかなければいけないこと。マニュアルを一つに決めることはリスクを負うこと。正解の無い判断・対応を何度もしなければいけないこと。日々多様な意見を出し合い、話し合いができる職場集団であること。「防災の知識があっても行動できないと意味がない」など、準備の大切さだけではなく、職場環境のことまでかんがえさせられました。また、避難した後の対応についても話していただき、当日だけではなく、次の日以降のことまで考えておくことの大切さも感じました」

「生徒の視点を確認できた。ワークショップの手法は学校で即活用できる」

「経験に裏付けされた豊富な知識をもとに、避難所運営に必要な知見を学ぶことができる機会になった」

【仙台市】荒浜小震災遺構

・地域住民も含めて320人が屋上避難し命を守った学校を当時の校長の案内で視察

「事前に避難先を屋上に変更したり、避難物資も3階以上にしたりする等、見直しの事例を示してくださった。ヘリコプターでの避難完了までの様子など津波からの避難だけでなく、その後の様子を知ることができた」

「校長先生は、立場上、教職員を管理し、見張る側面が多いと私は思っていたが、常日頃、この先生は教職員全体を信用していたと思う。その安定感が震災当日、学校を救ったのかもしれない、と感じました」

  • 総括ワークショップの様子と事後寄せられたリポート(一部抜粋・構成)

 

■小学校教諭

「今回の研修を通して、今までの防災教育への受け止め方や指導が生ぬるかったと反省している。自分自身の教育観・指導観が覆される非常に充実した研修となった。実際に被害を受けた地域の方の証言、その時の行動、状況等様々なことを目の当たりにし、自分が現在勤めている学校では何をしなければならないのか、何が重要になってくるのか、今後の指導のあり方、防災教育と命を守る視点等、本当に様々なことを学び考えることができた。3.11を今後につなげていく覚悟もできた。自校や地域における課題も見えてきた。防災についての意識は、各自に温度差がある。それをいかに自分事として考えていけるようにするか、という視点で今後指導にあたりたい。3.11を決して風化させないこと、3.11だけでなく、関東大震災や阪神淡路大震災等、人類の歴史上にあった過去の災害を今に引き継いでいくこと等、事前の備えがいかに重要かを感じ取った。それを広げ浸透させていくことが今回の研修に参加した者の使命だと思う」

■県教委指導主事

「自分は、これまで教員として子どもたちに自らの命を守るために必要な資質・能力をしっかりと身に付けさせることができていたのか。今回の研修は、自分のこれまでの防災教育に対する姿勢や取組、命を守ることへの考え方等について、見つめ直すきっかけとなった。研修を振り返って、自分の心に一番強く残っているのは、語り部の佐藤さんがおっしゃった言葉「熱をもつこと」である。子どもたちの防災に関する資質・能力の育成には、まず子どもたちに教える側の教師が、熱をもつことが重要である。そうでなければ、子どもが防災を自分ごととして捉え、真剣に学習に向き合う姿など、望めるはずがない。たとえ優れた教育プログラムや教材があっても、それを伝える教員に熱がなければ、それも意味をなさないのではないか。そう感じるほど、防災教育を進める上で、教員の高い意識というものが必要不可欠であることを思い知らされた。私は、指導主事として、熱をもった教員を一人でも多く育てることが、いま自分に課せられた役割の一つだと感じている。熱をもった教員は、生徒の心に火をつける。その熱を伝播させられるよう、今後自分にできることを精一杯果たしていきたい」

■市教委指導主事

「視察研修参加前と後で、防災教育についての意識が大きく変わった。というか別次元のものへと深化した。これまでの自分は知識だけが先行して、研修もマニュアルも避難訓練も、いざというときの判断、行動に結びつくものではなかった。圧倒的にイメージする力が足りていなかった。命を守るということは「備える・逃げる・戻らない・語り継ぐ」ということ。「自分の命は自分で守る、助けられる人から助ける人へ、防災文化の継承」が何より大切なことを経験して学んだ。「やるべきことをやれば命は守れる」は「やるべきことをしなければ命は守れない」ということ。そして、マニュアルや避難訓練には必ず本番があるということ。その本番が来たときに、逃げるべくして逃げ、助かるべくして助かることを絶対条件にしなければならない。「念のためのギア」は、「当日」の行動ではなく「平時」の取組によって上がるのだと体に沁みこませた。東日本大震災は、特別な場所で起きた特別な出来事ではない。教育行政に携わる者として、形だけの取組ではなく、学校が「子どもたちの輝く命」にまっすぐ向き合うことができる環境づくりへの支援が必要だ。私がすべき防災教育、それは救えたはずの命、救いたかった命に意味づけし、事実を語り伝え、今を生きる子どもたちに生きる力をつけていくこと。子どもたちの命をより輝かせること。防災の取組が恐怖で終わるのではなく、ハッピーエンドの未来を拓くように」

■中学講師

「東日本大震災から11年が経ち、震災の記憶が薄れていく中で、どこか他人事のように感じている自分がいたが、実際の被災地の現状を見ることや被災地の人々の話を聞くことによって、映像や資料で見ていた出来事がようやく線で繋がった。この震災の教訓から数年後に、必ず起こるとされている南海トラフ地震に備えて私たち教員に何ができるか考えなくてはならない。まずは、私自身が研修で学んだことを「熱」を持って教職員に共有する。小さな変化でも教職員1人1人の防災に対する意識を変えることが重要である。また、教職員は自分で考えて行動できる生徒を育てなければならない。研修では、震災発生後に生徒の手伝いがあったから避難所を運営することができたなど生徒の行動が助けになることが多くあったと聞いた。このように行動できたのは日頃の教育があってこそだと思う。だから私たち教職員は、緊急時に生徒自身が主体的に行動できるようになる教育を日頃から実施していく必要がある。今回の研修で学んだことを生かし、授業、学級活動、部活動などを通じて生徒が自分で行動できる力が身につくようなものにしていきたい」

■高校教諭

「約6年前に被災地を訪れておりました。その際に被災地を見た印象とは全く違ったものを今回の研修で見ることになりました。震災から10年以上が経ち、復興された街並みを見て本当に震災があったのかと思うような場所も目にしました。予算を投ずればもとに戻せるものがある反面、あの時から時間が止まっているかのような場面を目の当たりにし、伝承活動をされている方々の話を聞くと何とも言えない感情が湧いてきました。震災遺構といわれる施設を訪れたのは初めてであり、その1つ1つでその時何が起こっていたのかを知る貴重な機会にもなりました。イメージでしか当時の様子は想像できませんが、日常が非日常に変わる瞬間を考えると、改めて震災の恐ろしさを考える時間になり、助かった命と助からなかった命、生死を分ける結果にはどんな行動や考えの違いがあり運命が変わることになったのか私なりに命を守る行動について深く考えることができたのではないかと思います」