311被災地視察研修、通算7回目実施/東日本大震災の学校被災現場の知見を共有し、備えと防災教育の実践に生かす

宮城教育大学は2023(令和5)年8月9-12日、全国の津波災害等警戒地域の教職員を対象に、東日本大震災の知見を学ぶ「311被災地視察研修」を実施しました。

2019年4月に発足した「防災教育研修機構」(通称・311いのちを守る教育研修機構)の取り組みで、通算7回目になります。

全国から120件を超す応募・問い合わせがあり、地域バランス等を勘案して小中高校の校長、教頭、教諭、市教委指導主事、事務職員ら34人(過去最多)の参加を決めました。台風の接近による事前の移動も懸念され、猛暑の中の厳しい条件でしたが、全員参加し、おおむね晴天に恵まれた中、予定通り3泊4日の日程で被災地を巡りました。

視察先、研修内容はこれまでとほぼ同じです。宮城県気仙沼市、岩手県釜石市鵜住居地区、宮城県南三陸町戸倉地区、石巻市大川小震災遺構、門脇小震災遺構など被災した学校跡などを巡り、当時の校長や遺族らから話を聴きました。

ワークショップなどで防災教育に取り組む姿勢、学校現場の災害対応の教訓、「ともに生き抜く力」を育む教育の要点を共有しました。終了後のアンケートでは、34人全員が「期待以上だった」と答え、成果を所属先や地域に伝える役割を誓いました。

宮城教育大学は、東日本大震災の伝承と啓発による防災教育の発信強化を責務と捉え、震災10年を経過した後の伝承を重視して被災地視察研修に取り組んでいます。今後も年2回定期開催の予定で、年明けは例年より1か月前倒しして、2月22日(木)-25日(日)に実施します。開催が近づきましたらご案内します。多くの教職員の参加、派遣を期待しています。

【概要報告】

  • 日程

・2023(令和5年)8月9日(水)-12日(土) 3泊4日

・詳細日程は、別紙の通り

  • 参加者概要

・熊本県1人、佐賀県1人、福岡県1人、山口県1人、広島県1人、高知県8人、兵庫県2人、大阪府1人、愛知県4人、静岡県2人、新潟県1人、東京都3人、千葉県3人、茨城県2人、群馬県1人、山形県1人、青森県1人の計34人

・男性15人、女性19人

・小中高校や盲学校の校長、副校長、教諭、養護教諭、教委指導主事、事務職員

  • 主な視察地と寄せられた感想(視察順、抜粋加筆整理)

【気仙沼市】波路上・杉ノ下地区の慰霊碑、気仙沼向洋高校震災遺構・伝承館

・指定避難先に逃げ込んだ住民ら93人が犠牲になった現場を遺族の案内で視察

・校舎4階まで津波に襲われた旧高校校舎の遺構を高校生語り部の案内で視察

「いのちが助かった場所、いのちを失った場所、助かったいのちなのに失われた場所がすべて目に見える範囲で起こったことに衝撃を受けた。現在の穏やかな風景と当時の苛烈さの差に衝撃を受けた。語り部の小野寺敬子さんの穏やかな語り口とご自身の身に起こった悲しみの深さに衝撃を受けた。バスを見送る直前の小野寺さんのまっすぐ背中の伸びた美しい姿勢と少しだけうつむいた表情が忘れられない」

「杉ノ下でのお話を聴いて、本当に今の備えは良いのかと考えさせられました。忘れないために語り部をして話している、という小野寺さんの言葉も重さを感じました」

「震災遺構の向洋高校では、高校生が語り部として奮闘している姿に感銘を受けました。また、海岸からこれだけ離れているにもかかわらず、あの高さまで津波が押し寄せてきたことを思い浮かべると、いたたまれない気持ちになりました」

「高校生の語り部活動に触れて伝承の意味を考えさせられました。記憶がなくても(記憶が少なくても)思いを馳せて伝承することができるのであれば、私も語り部になれるのではと思いました。伝えていくことが防災や減災の力になると思いました」

【釜石市鵜住居地区】いのちをつなぐ未来館、旧釜石東中・鵜住居小からの避難経路

・避難した住民160人近くが犠牲になった旧防災センター跡地の「未来館」と慰霊碑視察

・600人の児童生徒が無事に避難した避難経路を当時の2年生の語り部の案内で視察

・語り部と1時間にわたり意見交換

「川崎さんのように子どものときに被災し、それを伝承しようとする若者たちがいることに心を揺さぶられた。教育者として、どんなことでも困難が目の前に立ち塞がったとしてもそれを乗り越えようとする力や思いをもてる子どもたちを育て、ふるさとを愛する子どもたちに育ってほしいと思った。そのためには、私たちの役割はとても重要だと感じた」

「実際に高台への避難経路を歩いたことで、津波の高さと避難路、切迫感を体感した。講師の川崎さんとの対話から、子供自身が命を守る行動をとることができた背景を知ることができた。防災センターへの避難も命を守ろうとしての住民の行動だったと思うので、避難計画や訓練のあり方を考えるきっかけになった」

「避難した場所まで、実際に歩き、距離や勾配の様子を体験することができた。防災の授業が楽しかった、という川崎さんの話にも衝撃を受けた。楽しくポジティブに取り組める授業をめざしたい」

【南三陸町】旧戸倉小学校・戸倉中学校

・児童90人が高台に避難して無事だった小学校の判断と経路を当時の校長の案内で視察

・1時間にわたり、意見交換

「当時の校長先生の判断に至った経緯、思いを知ることができ、管理職としてどういうことを事前の備えとしてやっておかなければならないのか、有事の際に判断できるようになるためには日頃からどんなことを考えておかなければならないのかといったことを考え直させられた」

「震災前から避難マニュアルに疑問を持ち続け、先生方と話をし続けたという普段からの防災について考える重要性を感じました。避難をしてほっとした後、津波は興味の対象になるという気持ちもリアルでしたし、地域の方の声を聴きながら判断をし続けたことが印象的です。すべての判断が正しくなかったと正直に伝えてくださり改めて知識をもつことや創造することの大切さを感じさせられました」

「被災当時の状況から、事前の備えや教職員の情報共有・対話・協議の大切さを学ぶことができた。事前の危機管理、思考の柔軟性、失敗の想定など考え方の視点を得ることができた」

【石巻市】大川小震災遺構

・児童教員84人が犠牲になった学校跡地を、娘が犠牲になった元中学教師の案内で視察

・1時間半にわたり、意見交換

「行く前には現場にいた先生をただ責める気持ちが大きかったのですが、実際に現場に行くと、助けたかっただろうなとも考えましたし、色々な危険を想像したのだろうと考えられるようになりました。同時に今できること、対策、考えることの重要性を強く感じそれを伝えなければならないと思いました」

「佐藤敏郎先生の説明と交流の中で、熱を持って本気で取り組めば先生方を動かすことができる、災害が起こってから判断しようとしてもできないのだから、事前に準備をしておくことが必要だということを教えていただいた」

「6年前に佐藤敏郎先生のお話を伺い、敏郎先生の印象が少し変わった。12年という月日には、私たちが想像できない時間が流れたと思う。変わらない思い、変わっていく思い、それぞれを感じながらお話しを伺った。未来を拓くは、これまでも変わらない言葉であるけれどそこに含まれる思いが6年前とは違っていた」

「遺族として、元教員として、率直な思いをお話しいただいた。また、見学の後の交流でも、研修参加者の質問や感想に丁寧にコメントをいただき、今後本気で子供たちの命を守っていきたいと思った」

【石巻市】門脇小震災遺構

・当時の校長の案内で避難の様子を視察

・1時間にわたって意見交換

「子どもたちの命を助けるためには、教師側がまず変わわらなければならないということがわかった。避難訓練だけでなく、総合的な学習の時間などで安全教育を楽しくやっていけば、子どもたちに安全に関する知識・行動が身につくとわかった」

「地震、津波だけでなく火災という被害に遭った場所を直接観ることができ、まさに想定外の被害が出たところを確認することができた」

「ご自身の後悔されている点を含めたお話は心に響きました。ずっと亡くなった子ども達の祈念をしていること、震災は終わっていないと強く感じました」

【宮城教育大学】震災時の避難所運営

・石巻西高校の元校長が避難所対応経験を元に避難所運営の要点を講話

「避難所運営やこれからの子どもたちへの防災教育について、未来を示しながら講義をしてくださった」

「ご自身のことを「進化するじじい」と紹介され、PCを駆使しながら全国の方々と繋がりをもとうと必死に努力されていた」

「軽快な口調で吸い込まれる語りだと思った。大人たちの本気を子どもたちに見せなければならないと強く思った」

【仙台市】荒浜小震災遺構

・地域住民も含めて320人が屋上避難し命を守った学校を当時の校長の案内で視察

「自校の屋上へ避難としたものの、校長としての判断に不安は相当だったと思います」

「判断のタイミングや、判断基準の内容、判断後の振り返りなど、管理職としての苦悩がよく伝わりました」

「校長先生が屋上へ避難指示を出しながら、地元の方々を受け入れて、その後の光景を目にされた時は本当に衝撃的だったと思います」

  • 総括ワークショップの様子と事後寄せられたリポート(一部抜粋・構成)

■中学校教諭

「自分は何も分かっていなかった」。それが率直な感想である。「防災教育とは何か」「教師とは何か」「生きるとは何か」を突き詰めて考えていなかった自分の甘さを思い知らされた。 事前のレポートで「災害への正しい知識と高い防災意識を持つことが重要である」「災害に強い社会やコミュニティを構築するためには学校における防災教育はもっとも重要な要素の一つである」と書いた。今、事前レポートを読み返して、頭でしか理解していなかったと痛感する。現場に立ち、実際の避難ルートを歩き、被災された方々の話を伺うことを通して、これらの言葉がもつ本当の重さを肌で感じた。研修から戻ると、自分の物の見え方が以前と明らかに違っていた。土地のわずかな高低差に敏感になった。駅などで車いすの方や高齢者の姿を見ると、避難ルートを確認してしいた。ニュースで流れるマウイ島の山火事の話、レイテ戦で生き残った101歳の方に父の消息をたずねる遺族の話、ウクライナ警察官が遺体身元確認技術を学ぶために来日した話、すべてが東日本大震災と繋がった。子どもを見ると「自分は生徒を生徒と見ていた。今はいのちだと思っている」と語った佐藤敏郎氏の言葉が浮かぶ。日常の様々な瞬間に、避難拒否する高齢者の話から、死について生について語られた武田真一先生の言葉が思い出される。「自分が忘れないために語る」と言った小野寺敬子さんの美しく悲しい後ろ姿が忘れられない。震災から12年。震災の記憶が薄れる中だからこそ、東日本大震災と向き合うこと、被災地とそこに語り継ぐ方々と繋がることが未来を拓くことなのだと思った。災害は必ず起こる。その時いのちを守るために、学校が、教員が果たす役割は大きい。東日本大震災の知見と教訓を引き継ぎ、「ともに生き抜く力」を身に付けるため、今回の研修で学んだことを実践する。「熱」と「覚悟」をもって教師の仕事に当たることが私の使命である。

■小学校教諭

東北に行ける格好の口実ができたという軽い意識で参加した。もちろん、防災教育にいくらかでも役立てようという気持ちもあった。参加してびっくり仰天。実際に見聞きした被災地の現状や被災された方の話は、衝撃の連続だった。被災した方お一人お一人に被災の状況があり、被災への憤りがあり、後悔があり、悲しみ等が渦巻いている、それらは人生を大きく変えるものでもあり、被災したことをそれで終わらせないように、何人もの人が語り継いでいることを知った。中高校生も会を作り、行動していることも知った。「命を守る」防災教育だと知っていたし、そう口にしてはいたが、「命」がより重いものとして迫ってきた。突然起こる災害の惨さを痛感した。そして、学校に関わる全ての人が防災への意識を高める必要性を強く感じた。研修での学びを周りの人(教職員、児童、保護者、地域の人)に熱く伝える、防災マニュアルの1ページ目に理念を記す、避難訓練を形式的にしないための工夫を続ける、防災に関わる校内のしくみを変える、災害時に必要な物(携帯ラジオなど)を購入してもらうなど、できることをすぐに実行したい。

■高校教諭

自然相手に人は無力です。しかしながら、この東日本大震災での経験と教訓を次にいかす取り組みを重ねることが、次の災害を軽減できると思います。そのために私は、今回の研修を経て日頃から職場の先生方、生徒、可能であれば地域の方々との話し合いを通して災害時における避難のシミュレーションをし、想像力を高めておく必要性があると思いました。私はどちらかと言うと、人前で堂々と意見を言える方ではありません。しかしこれからは、話を聞いた上で違和感をもった時、間違っていると思った時などは、その先に人命が関わっているかも知れないという気持ちで、勇気を持って発言したいと思います。たとえそれが、すぐに受け入れられなくても、繰り返し伝えていくことにより、1人でも多くの命が助かればと考えます。そこで、まず私が取り組めることは、本校の避難訓練の見直しです。これまでの訓練は形式的なもので、全校生徒をグラウンドに集めることで終わっていましたが、火災発生場所次第ではグラウンドが使用できないことも考えられます。また、停電により放送設備が使用できないことも想定できます。そこで、ハンドマイクやトランシーバーといった機器を、校内のしかるべき所に設置してもらえるよう管理職に働きかけたいと思います。その他、避難袋の中身の検討も合わせて実施したいと考えています。次に、今回の学びを生徒達に還元するということです。研修で得た様々な資料、画像、動画を活用しながら震災学習を行い、「生きるとは何か」について一緒に考えていきたいと思います。その学習が、いざという時により賢明な判断をする手立てとなり、自分を含めた多くの人達の命が助かることにつながると信じています。

■教育委員会主幹

当たり前に来ると思っていた、ありふれた明日が災害により突然奪われ、さよならさえ出来ないまま別れが来る。このことは不幸にも亡くなった方だけでなく、生き残った方にも忘れられない辛い思いと、十字架を背負させたまま後悔と葛藤が終生続いていくことを知りました。後悔先に立たず。ああすれば良かった、なぜこうできなかったのか。後から言うのは簡単ですが、災害が本当に起きた時に命を守る最善の行動が取れるようになるためには、漫然とマニュアル通りの失敗しない訓練をしていても何の意味もなく、教える側や指導する立場の人間が、どれだけ真剣に取り組むことができるかということと、平時にどれだけ準備が出来ているかが何よりも重要だと学びました。今、研修を終えて自分に何が出来るのか模索中ではありますが、少なくとも佐藤先生のおっしゃった熱をもつこと、そしてそれを伝えていくことは出来るので、まずは家族や同僚など身近なところから視察研修で見てきたこと、感じたことを伝え、一人でも多くの人と、この熱が共有できるように取り組んでいこうと思います。

■小学校教諭

現地に足を運ばないと気付かないこと、知りえないことばかりで、参加者の一員として多くのことを学びました。まず、自身の防災教育への受け止め方が甘く、防災計画が不十分であったと感じました。いざという時に備え、日頃から不定期の避難訓練をしているところですが、第二次避難は校庭の一択であること、第三次避難まで考えてなかったこと、当日の災害によっては臨機応変な判断、対応が必要であることを痛感しました。「人員点呼をして避難」は原則であって、すぐ逃げなければならない事態も起こりえることにも気づきました。ラジオ、懐中電灯等学校の備えについても見直すきっかけになりました。運動会でしか使わないトランシーバーの活用について、すぐに話題にしたいと思います。次に、遺構に足を運んだり語り部に話を聞いたりすることがいかに大切であるかを知りました。震災後、数年経って被災地を訪れていましたが、今回のような深い学びはできませんでした。実際に被害を受けた地域の方や遺族の話を聞いたり、その時の行動を振り返りながら現地を歩いたりできたことは、貴重な体験でした。天候、高低差、経路、時系列での行動など様々な情報をまとめてみて、初めて気が付くこともありました。「自分の地域だったら・・・」と頭の中でシュミレーションしながら体験することができました。今回の研修を通して、自分の地域の特徴を受け、学校としてどのような備えをしていかなければいけないのかを考えるきっかけをいただきました。また学校だけでなく、保護者、地域を巻き込んで防災教育を推進していく意味や重要性も分かりました。子どもの命を守る仕事をしている自覚を再確認し、震災から学んだことを自分事として捉え、今後の指導や防災教育に生かしたいです。

(了)

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