311被災地視察研修、通算8回目を実施しました/15都道県34人が参加、東日本大震災の学校被災現場の知見と教訓を共有しました

宮城教育大学は2024(令和6)年2月22-25日、全国の津波災害等警戒地域の教職員を対象に、東日本大震災の知見を学ぶ「311被災地視察研修」を実施しました。

2019年4月に発足した「防災教育研修機構」(通称・311いのちを守る教育研修機構)の取り組みで、通算8回目になります。

全国から100件を超す応募・問い合わせがあり、地域バランス等を勘案して小中高校の校長、教頭、教諭、市教委指導主事、事務職員ら15都道県34人の参加を決めました。これまで年度2回目は3月末の実施でしたが、今回は初めて2月下旬の設定でした。厳寒期で降雪が心配されましたが、期間中はおおむね晴天に恵まれ、予定通り3泊4日の日程で被災地を巡りました。

視察先、研修内容はこれまでとほぼ同じです。宮城県気仙沼市、岩手県釜石市鵜住居地区、宮城県南三陸町戸倉地区、石巻市大川小震災遺構、門脇小震災遺構など被災した学校跡などを巡り、当時の校長や遺族らから話を聴きました。

ワークショップなどで防災教育に取り組む姿勢、学校現場の災害対応の教訓、「ともに生き抜く力」を育む教育の要点を共有しました。終了後のアンケートでは、回答があった33人全員が「期待以上だった」と答え、成果を所属先や地域に伝える役割を誓いました。

宮城教育大学は、東日本大震災の伝承と啓発による防災教育の発信強化を責務と捉え、震災10年を経過した後の伝承を重視して被災地視察研修に取り組んでいます。今後も年2回定期開催の予定で、2024年度の夏は8月7日(水)-10日(土)に実施します。開催が近づきましたらご案内します。多くの教職員の参加、派遣を期待しています。

【概要報告】

  • 日程

・2024(令和6年)2月22日(木)-25日(日) 3泊4日

・詳細日程は、別紙1の通り

・参加費等の案内文書は、別紙2の通り

  • 参加者概要

・熊本県1人、福岡県3人、山口県1人、愛媛県4人、高知県2人、兵庫県2人、和歌山県1人、三重県1人、愛知県4人、岐阜県1人、静岡県5人、東京都3人、埼玉県2人、茨城県1人、北海道3人の計34人

・男性18人、女性16人

・小中高校や特別支援学校の校長、教頭、教諭、養護教諭、教委指導主事、事務職員

  • 主な視察地と寄せられた感想(視察順、抜粋加筆整理)

【気仙沼市】波路上・杉ノ下地区の慰霊碑、気仙沼向洋高校震災遺構・伝承館

 

・指定避難先に逃げ込んだ住民ら93人が犠牲になった現場を遺族の案内で視察

・校舎4階まで津波に襲われた旧高校校舎の遺構を高校生語り部の案内で視察

「防災意識が高かったにもかかわらず、大丈夫だと思い込んだことが多くの犠牲者を出してしまったこと。「少しでも高くへ、少しでも遠くへ」が強く伝わりました。戻ってはいけないとわかっていても戻ってしまう、その心理に打ち勝つ気持ちも大事」

「高校生語り部の気持ちのこもった話にとても感心しました。本校の子どもたちも、自分の想いをきちんと伝えられる、そんな人に育てていきたいと考えさせられました」

「若い人も震災と向き合って語り部として活動していることに驚くとともに、震災をあまり覚えていない自分でも語り部をやってもいいと思えるようになったという深い話を語り部の高校生から聞いたことが印象に残っている」

 

【釜石市鵜住居地区】いのちをつなぐ未来館、旧釜石東中・鵜住居小からの避難経路

・避難した住民160人近くが犠牲になった旧防災センター跡地の「未来館」と慰霊碑視察

・600人の児童生徒が無事に避難した避難経路を当時の2年生の語り部の案内で視察

・語り部と1時間にわたり意見交換

「この研修でいちばん津波のことをリアルに語ってくださった。津波が液体ではなく固体で、すごい勢いで家や車を飲み込んでいくすごい高さで襲ってくる、など今まで想像もしていませんでした。その中で先生方の指示を聞き、チームワークで避難した中学生たちの話が素晴らしかったです」

「中学生の避難スタートが小学生、地域の方に広がったという点と川崎さんの「楽しい防災学習だった」というお話から、今後自分が取り組んでいくべき防災学習の方向が見えてきた。何度でもお話を聞いて学びたいし、機会があれば、ぜひ当地にも来ていただいて子どもたち保護者、地域の方にも聞いていただきたい内容だった」

「普段から防災学習を積極的に行ってきたことで、地震発生後に子どもたちが自主的に避難行動を行った話が印象に残った。様々な設定で避難訓練を行うことや楽しみながら体験学習することが効果的だと分かった。また、防災センターの事例から、生き残るために本気で避難訓練をすることの意味が分かった」

【南三陸町】旧戸倉小学校・戸倉中学校

 

・児童90人が高台に避難して無事だった小学校の判断と経路を当時の校長の案内で視察

・1時間にわたり、意見交換

「屋上に逃げるか高台に逃げるか、家に帰りたいといった先生を帰らせるか引き止めるか、避難した場所にとどまるかさらに高台に登るか、などの決断に迫られたときの迷いや葛藤がとてもよく理解でき、自分がその場にいたらと思い、涙が止まらなかった」

「いざという時に機能する教職員集団であることや、校長としての判断力・決断力・覚悟が必要であることを学ぶことができた」

「教職員同士で意見し合うことができる環境が大切であることが学べる場であった。現在赴任している職場で考えたときに、自分の意見を進んで伝えることができるかを考えることもできた。自分自身も知識を蓄えながら、緊急時に進んで意見することができるようにしていきたい」

「校長としての判断、日ごろから職員や保護者・地域と防災についてコミュニケーショ ンを図ること、状況に応じた変更や対応等改めて考えることができた。best はないかもしれない、より better を選ぶ。麻生川先生 の言葉を胸に刻み、今後の対応に取り組んでいきたい」

【石巻市】大川小震災遺構

 

・児童教員84人が犠牲になった学校跡地を、娘が犠牲になった元中学教師の案内で視察

・1時間半にわたり、意見交換

「津波で被害を受けた可哀想な街ではない。にぎやかな街で多くの人が暮らしていた。にぎやかな学校だった。先生たちのチームワークが取れていたら子供たちは助かっていたのかもしれません。学校の組織のあり方を考えさせられたし、普段からの積み重ねの大切さを痛感した」

「これまでは報道等で悲しみの場所、命を救えなかった場所という印象を勝手に持っていたが、実際にお話を伺うことでこれからの命を救う場所、未来に向かって一歩進んでいくための、尊い学びの場所と思うようになった。それでも、本当に救えなかったのか、と何度も何度も考えてしまった」

「実際にその場に行って、山との位置関係を見て、どうしてそこに避難できなかったのかという思いが沸き上がるとともに、現場にいた子供たちや先生の恐ろしかった思いや、遺族の人たちのやるせない思いが心に浮かび、涙が止まらなかった」

「教師の仕事は素晴しい仕事だと話してくださった。命を守り、育むことが、できる唯一の仕事である。その責任とやりがい。未来を拓く子どもたちにはが集まる学校は、とても大切な場所だと再認識した」

 

【石巻市】門脇小震災遺構

・当時の校長の案内で避難の様子を視察

・1時間にわたって意見交換

「いざというときに命を守ることができたのは、日常の指導の賜物だと感じた。話を聞くこと、右側を歩くことが避難につながったと思う。職員が子どもの誘導と地域住民の受け入れにとっさに分かれたり、名簿、ブルーシートを持って行動したりしたことも、とても大きいことだと思いました」

「日頃の生活指導を徹底することが、すばやい避難行動につながるというお話がとても印象に残っています。また、地震・津波だけでなく、その後に火災が起きるかもしれないという点において、垂直避難について改めて検討しなくてはならないと思いました」

「日常の生活指導を徹底することが災害時の適切な行動につながるという話が印象に残った。児童の命を守るために、教員が真剣に避難訓練に取り組んできたため、当日も先生たちが自分の役割を理解して行動し、多くの命を救うことにつながったことが分かった」

【河北新報社一階ホール】震災時の避難所運営

・石巻西高校の元校長が避難所対応経験を元に避難所運営の要点を講話

「避難所において、子供たちが大人を動かすという事がよく分かった。その意味で、役場や地域の方々との避難所運営の練習が必須だと感じた」

「石巻西高校の体験をもとに全国に思いを伝える姿が響いた。災間を生きる。まさにその通りだと思う。これを肝に銘じながら伝達していきたい」

「たぶん斎藤藤先生の講座で涙を流したのは自分だけだったかもしれません。自分でも驚いたのですが、少し分析してみると能登に行き避難所運営がまさに齋藤先生が言われていたように役職ではなく役割で動く仕組みになっていたからです。あぁこうやって私たちは、多くの犠牲は出しながらも、災害復興の学びをきちんと後世に残して言っているんだなという気持ちが感動としてあふれたような気がします」

 

【仙台市】荒浜小震災遺構

・地域住民も含めて320人が屋上避難し命を守った学校を説明員の案内で視察

「かつて、人がたくさん住み賑やかだった街の遺構や、学校の惜しまれながら閉校した様子、また石碑に刻まれていた警察や行政の人たちが地域に関わって亡くなったこと。住宅の遺構は生々しく人々の生活が感じられた」

「10年前に訪れてから、復興している姿を一番楽しみにしていた被災地でした。しかし、まだまだ復興までには遠い現状に驚かされました。街が大きく変わってしまった現実を知ることができました」

  • 総括ワークショップの様子と事後寄せられたリポート(一部抜粋・構成)

■市教委指導主事

いろんな都道府県の方々とあんなに腹割って話せる研修は今までありませんでした。これも宮教大のプロデュース、豊富な知識、講師の方の人選のおかけです。研修で一番大切な「どの人も死んだらいかん」「命を大切にしないといけない」「大切な人生の生き方、終わり方も大切にしながら生きる」「命が抜けた肉体も大切に人生を終わること」「周りの人たちに感謝して暮らすこと」など学びました。また、教員として学校の管理下にいる子どもを守るために意見が言いやすい、チーム学校を作っていきたいと思いました。少しでも犠牲者が出ないよう防災についての勉強を積み重ねていきたいと強く思いました。

■小学校校長

東日本大震災から13年、自分の中でどこか記憶が薄れつつある中、今回の研修に参加するにあたり、何となく引け目を感じながら集合場所に向かっていました。最初に武田先生から「引け目を感じることはない」というお話を聞き、気持ちを楽にして研修をスタートすることができました。実際に現地の様子を見たり、語り部さんのお話を聞いたりするにつれ、この研修に参加した責任を感じるようになりました。津波の威力は、様々な映像で知ってはいたものの、やはり実物が語ることは何物にも代えがたいものであり、あらためて自分の居住地の津波対策について考えさせられました。研修に参加する前は、子どもたちに震災が起こった時にどうすべきか、自分の命は自分で守る意識をどうやって高めていくのかについて参考にしたいと思っていましたが、1日目、2日目と震災遺構を回るうちに、まずは同僚の先生にこのことを伝える必要性を強く感じることとなりました。

■小学校教諭

研修から地元に帰った際には、「家族や大切な人が近くにいてくれること」「学校(職場)があり、生徒がいて元気に働くことができること」など、これまで「当たり前」と思っていた日常に対して、感謝の想いが湧き上がってきました。また、この想いをこれからも持ち続けていきたい、と思っています。現在、本校2年生が社会科の地理的分野で「東北地方」の学習をしています。社会科の授業では、「日本のさまざまな自然災害」や「自然災害に対する備え」という単元において、東日本大震災にふれながら、すでに災害や防災ついて学習を終えていました。しかし、今回の研修を終えた今、改めて、東日本大震災による具体的な被害の状況と、復興に向けてさまざまな取り組みが行われていることを生徒に伝えなければならない、と思い、研修で学んだことをもとに授業を行いました。生徒たちは、撮ってきた写真や資料を食い入るように見ていました。また、私自身が、研修の中で自分の目で、耳で、肌で感じることができたことを授業に仕組むことができ、「生きた授業」を実践することができたと思っています。

■小学校教諭

自分自身がこれまでに研究してきた防災教育は、単なる理解であったと自覚できた。それが研修に参加して良かったと感じたことだ。「理解」を基に「判断」し、「行動」に移さなければ命は助からないことを、ようやく実感として掴んだ。これまでの私は、理解にとどまっていたから、避難訓練にも熱がなかった。防災教育は、恐怖を教えるものだと思っていた。災害が起きていたら、逃げることに躊躇している自分が、容易に想像できた。研修では、命が助かった事例や、助からなかった事例が起こった場所を実際に視察し、自分の目と足で追体験させていただいたことで、多面的に命を守ることについて考えることができた。今後は、得た学びを自分だけにとどめるだけでなく、周りの教職員や児童生徒が自らの命を自らが守ることができる、真の防災教育をしていく。

■中学教諭

今回の研修と終えて、自分自身の考えや、学校教育における防災への思いが、変化していることを実感しています。防災について、やる気がなかったわけでもなく、興味がなかったわけでもありません。むしろ、人より熱心に指導しているな、という自負もありました。しかし、実際の被災地を視察することで、今のままでは全く防災教育になっていない、また、教師のためにもなっていないと考えることができました。特に、大川小学校での「教師の動き」や「教師の日常のコミュニケーションや備え」は、内陸で津波は来ないだろう、大丈夫だろうと余裕で構えている本校には強く重なるところがありました。少し、意見を話せる空気があれば、機会があれば、結果は違っていたかもしれないと思うと、災害と人災は紙一重であり、自分自身の行動がその引き金になる可能性は十分にあると気付きました。教師は誰しも、子どもの笑顔が見たい、笑顔でいてほしい、成長して立派に巣立ってほしいと思うものです。死んでほしいと思う教師はいないでしょう。もしもの時に、生徒が一人でも生きることができるように、これからの避難訓練の内容や、防災学習の内容をより工夫する必要があると思います。

■中学校教諭

今回の研修で学んだことを3つに分けて述べていきたい。

1つ目が学校の危機管理の在り方である。日本で起こっている災害や戦災などに備えその時にどのように生徒たちを動かし避難させるか。危機管理マニュアルの作成と職員への共通理解が必要である。更に想定外の事態が起こったときには、マニュアル通りには行かない。早急な判断をし、更に安全な場所に避難移動をさせる必要がある。その時にリーダーである管理職が判断を下すことになるが、より安全な避難を考えるとき職員間で様々な意見が出る。その時に普段からの職員の人間関係ができており、違う意見が出ても、早急な判断を下し、安全な避難につなげていくことが大切である。時には地元に住んでいる生徒たちがより安全な避難の仕方を知っていて意見を出してくることもあろう。普段から職員間で話ができ、上下関係に左右されず、お互いの思いをはっきり述べられる職員集団をめざしていきたいと思った。また、生徒たちだけでなく職員や働いている人たち全てに目を向け、全員が助かることをめざした防災対策をめざしていくことが大切である。これは管理職や職場の年長者の責任でもある。

2つ目が地域と学校の連携の大切さである。近年教職員の働き方改革により、地域との関係が以前より薄くなっている傾向にある。研修のなかで、中学校で、PTA会長が高台への避難を促しに来校された事例があった。学校は地域と密接につながり、普段から地域の様子や昔から伝承される災害の情報や避難情報などを共有する必要があることを実感した。本校でも地域パトロールの時に「遺跡がでるところは洪水が起こったときに水が来ない」「ここは土地が低いので大雨の時には行かないで」などの話を地元の方々から聞く機会がある。防災倉庫や防災施設を熟知しているのも地域の方々である。こういった地域との連携を密にして、危機管理マニュアルや防災教育に役立て行く必要がある。

3つ目が「津波が来ない地域」「災害が少ない地域」の災害に対する協力体制や避難者の受け入れ、支援や援助である。当地は太平洋側に面しておらず、南海トラフ大津波の被害はあまりなさそうである。のんびり構えていたが、宮城県や岩手県の沿岸部で津波被害に遭った人たちを内陸部の地域が受け入れたり、学校の校舎を貸したり、新聞社同士でも被害に遭っていない新聞社に制作を依頼するなど被害に遭っていなくてもできることを考え、苦しい立場の人たちをどう支援していくのかということを普段から想定し、対策を立てておくことが必要であることを学んだ。このことはこの研修に参加しなければ分からなかったことかもしれない。また、避難所運営は行政や大人がやることのように考えていたが、日頃からの訓練により小中学生も運営の担い手になることも知ることができた。

この研修であらためて確認したのは「命の大切さ」「命の重み」である。また、津波で家を流され、家族を失くし、命を落とした人たちが可愛そうなのではなく、人々の生きていた証があること、そこには街があったこと、人々が住み文化があったことである。最終日に行った荒浜地区の小学校や、住宅の遺構が人々の生活を物語っていた。

研修前、津波は海水が陸地に上がってくるといった感覚でいたが、釜石の語り部の川崎さん曰く、「大きな固体が迫ってきて、家や車を飲み込んでいく感じ」だと聞いた。人が津波に巻き込まれたら土砂やがれきにまみれながら流され、遺体の損傷も激しいと聞いた。避難するときは多くの人が助かるように、動けない高齢者や体が不自由な人も「どうせ助からない」のではなく、日頃の備えや避難経路の確認、地震があった後の早めの高台への避難など、もしもの時の避難の仕方を決めておくことが大切であることがわかった。

災害は免れないが、人の命を守る行動や、避難の仕方、災害における学校の安全について更なる学びを深めていきたい。

(了)